5日目 2009/4/26 〜スプリット、コルチュラ〜


スプリット

7:50ホテル出発。
スプリット観光へ。
ローマ皇帝のディオクレティアヌス帝の宮殿がそのまま旧市街になっている。
世界遺産にもなっている。

     

世界ふれあい街歩きでも見ていたので、見たことのある風景が所々にあり、嬉しくなる。
あの家のおばさんに家に通してもらい、外壁に上がらせようとしてもらって、やめたんだっけなあとか。

旧市街の中心、ペリステル近くのローマのパンテオンのように天井に丸い穴が開いた所でクラパと呼ばれる伝統的なアカペラを歌ってもらった。
あとでCDを買わされそうになるのだけどね。
なかなか良い歌声であった。女房はCDを買っていた。

     

北門へ向かい、グルグール司教の像の親指を触る。ここだけ金色に輝いている。
触ると幸運が訪れると言われているためだ。

再び皇帝の住まいへ戻り、地盤沈下で地下のようになっている食物倉庫跡へ。
天井ががたがたで特徴がある。

   

少しの自由時間であっちへ行ったりこっちへ行ったり、ヤシの木の立ち並ぶ海岸通り。カフェも多い。
ここで再集合し、バスで移動。

この短時間で鐘楼に登るつわものもいた(おじさんカメラマン集団と若いお姉さん たち)。
ピークハンターとしては登っておきたかったところだが、 今後のために体力を温存させた。

   

コルチュラ

長い移動だ。アドリア海岸沿いをバスは行く。
カエルが名物のレストランでシーフードリゾットのランチ。
カエルは入っていなかったようだ。アコーディオンとギターの演奏を聞きながら。

     

ボスニア・ヘルツェゴビナに入国。クロアチアに再入国。
ここはクロアチアの飛び地になっている。
バスは日本人と言えば、ほとんどスルーのようだ。
パスポートチェックもなし。

ペリシャツ半島の先端のオレビッチより、チャーターボートに乗り、コルチュラ島へ。
海は透きとおり、魚も見える。南国のようだ。

     

コルチュラはヴェネチア共和国の支配下にあった街。
クロアチアは、ローマ帝国やらヴェネチア共和国やらハプスブルク家やらオスマントルコやらユーゴの共産主義やら、etc、etc。
様々な文化が混ざり合い、今に残っている。
見どころが多く、これから日本人観光客も増えていくだろう。
東洋人は珍しいらしく、現地人にはジロジロ見られる。
が他のヨーロッパのように「ニイハオ」と話しかけられることはない。
まずは「コンニチハ」と声をかけられることから、東洋人としては日本人くらいしかまだ来ていないのだろう。

聖マルコ大聖堂、マルコポーロの生家とされている建物を見て、あっという間のコルチュラ観光は終わり。

     

途中、ストンの塩と牡蠣が名物のポーク串焼きレストランに寄り、
21時ころ、ドブロヴニク新市街の真新しいリゾートホテル、ネプチューンに泊まる。

     



4日目へ homeのページへ 6日目へ